農家紹介

農産直売所「あぜみち」にご提供いただいている農家さんや、あぜみちで取り扱っている季節の野菜を使ってくれているお店のご紹介です。

お知りになりたい農家さんを選んで下さい。

Kusaka Vineyards日本の気候・文化に合う農業としてのワイン造り

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 日本の原風景、里山風景が広がる市貝町。ここで日下篤さんは醸造用ブドウをメインに生産している。前職では種苗会社に勤めていた日下さん。野菜に関する知識と経験を積む一方、“農業を営む”ことへの興味が膨らみ、脱サラして就農を決意。「ワインやジュースなど、多彩な用途があり、世界中にファンがいる加工品の原料。いいものを作れば、安定した収入が確保でき、生産から加工まで関われる」と、自分が好きなブドウを育てることに決めた。日本のブドウ一大産地・山梨県で計3年間の修業を積み、今は、マスカットベーリーAなど、数種のブドウとトウモロコシを生産している。
 ゆくゆくは農業をベースにしたワイナリー設立を目指す。そのためにもある一定の収穫量を確保しておくことが目下の目標だ。
 就農2年目の昨秋に初収穫を行い、44本のワインになった。その醸造を手掛けたのが、足利市にある「Cfa Backyard Winery」だ。「pH、酸度、糖度のバランスがよく、ポテンシャルが高いと思いました」と、醸造家の増子春香さん。
 「Cfa Backyard Winery」は、清涼飲料水製造会社「株式会社マルキョー」内に、2012年に設立された小さな醸造所。全国各地のワイナリー立ち上げに関わってきた知識、経験を活かし、日本独自のワインを醸造。“温暖湿潤気候帯(Cfa)にある日本”に適応したワインの“在り方”を、足利市から発信している。
 日下さん、増子さんは「温暖湿潤な日本で、喜ばれるワインを作る」という共通の目標を持っている。文化としてもまだまだ伸びしろのある日本のワイン。生産者のひたむきな姿勢と日本の高い技術。ワイン文化が日本に根付く未来も、そう遠くないのかもしれない。

昨年、初めて収穫したブドウで作ったワイン(非売品)。今年収穫のブドウからいよいよ本格的に醸造がスタート。完成が楽しみ!

おやまだ桃農園異業種の経験を生かした新たな農との向き合い方

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 大田原市立奥沢小学校のすぐ近く。ここで小山田さんは16品種の桃を生産している。驚いたのは木の低さ。木をパラボラアンテナのように広げることで桃に均一に太陽の光が当たる。低木栽培することで桃の品質を高水準に保ち、作業効率をアップ。さらに農薬はほぼ使わず消毒だけ。肥料も木の周辺の植物をそのまま有機肥料として使用する。「手をかけずにやりたい」と笑いつつも、効率よくより良いものを楽しみながら作る、それが小山田さんの哲学なのだろう。
 小山田さんは、美容師として都内で働いていたが、父親が始めた桃の生産に興味を持ち、地元に帰郷したという異色の経歴の持ち主。それゆえか、農業に対する取り組み方もまた一味違うように感じられる。桃の生産・販売だけでなく、経験を生かし、美容商材の開発にも積極的に取り組む。
 栃木県を代表するフレンチ「オトワレストラン」では、小山田さんの桃を使用。地元の旬の食材を使った郷土愛あふれる料理は、すでに多くの人の知るところだ。豪華寝台列車「TRAIN SUITE 四季島」でも料理を提供する同店。栃木県内でもまだ桃の生産者は少ない。しかし「栃木県の魅力的な食材を紹介したい」と生産者を探したところ、たどり着いたのが「おやまだ桃農園」だったという。  桃の個性を見極め、生食はもちろん、真空調理やローストなど調理法を変え、桃の個性を最大限に引き出すその技は、さすがの一言。肉に火入れをするようにじっくりローストした桃は濃厚なコクをまとう。真空調理した桃は、まるでガラス細工のような美しい透明感。
 生食でもおいしい桃。調理法によって、さらにさまざまな表情を楽しませてくれる食材なのだと、新鮮な驚きを感じることができた。

元美容師の経験を生かして開発したシャンプー&トリートメント『那須野ヶ原Shangri-la』。地元の美容室でも人気!

池田一紀さんユーザーの信頼に真摯に向き合い、応える

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 鮮やかな緑色、シャキシャキとした歯ごたえ、独特の風味と甘み…。目と舌に春の訪れを告げてくれるアスパラガス。両親とともにアスパラガス生産に取り組む池田さんのもとを訪れた。今年は春の訪れを感じる時期が早かったこともあり、池田さんのもとを訪れた日は、まさにアスパラガス収穫の最盛期を迎えようとしていた。
 池田さんは現在26歳、現役の両親とともに農業に携わって5年目になる。学生時代から、両親が続けてきた農業を、いずれは継ぎたいと考えていたという池田さん。「もともと“作る”ことが好きだったんです。まだまだ両親から教えてもらうことも多いですが、頑張りたいです」
 化学肥料を与えてしまうと苦みが強くなるため、有機肥料を使い、低農薬での栽培に池田さんはこだわる。「やっぱり“おいしい”って言っていただけるものを作りたいですから」手間をかけてでも、ユーザーの安心を求める心、そして信頼に応えるべく日々奮闘を続けている。
 今回は、宇都宮市の人気イタリアン「リンシエメ」オーナーシェフ・高梨さんのもとに池田さんのアスパラガスをお届け。厳選した素材の持ち味を引き出し、生かし、楽しませてくれるその技に、多くの人が魅了されている。  「アスパラガスは主役級にも名脇役にもなれる食材。その持ち味を生かしています」と高梨さん。穂先に近いやわらかな部分はさっとソテー。根元の部分はハマグリのダシとともにピューレに。一つの食材で二つの味わいが楽しめる一皿となっている。
 ゆでてよし、焼いてよし、新鮮なものなら生でよし。食卓に彩りを添えてくれるアスパラガス。旬のこの時期に、ぜひご賞味あれ。

ハウスではアスパラガスが次々を顔を出していた。

安納いちご園 安納 正人さん真摯に農業に向き合い人に喜ばれる仕事を

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 鹿沼街道から少し反れると、通りの喧騒がうそのような田畑風景が広がる宇都宮市飯田町。ここで安納さんはとちおとめとスカイベリーを生産している。
 両親は兼業農家で、もともとは全く別業種の仕事についていたという安納さんだが、いずれは家を継ぎたいと考えていたという。「実家には土地もある。やりがいがあって人に喜んでもらえる仕事がしたい」と、文字通り“畑違い”の農業に飛び込んだ。先輩の農家に研修に行きつつ、自らの畑を整備。近所の直売からスタートし、徐々に販路を拡大。今ではあぜみち鹿沼店でも随一のイチゴ生産者だ。
 美しい円錐形が特徴のスカイベリー。安納さんは安定した形とその味が高く評価されている。この品質を支えるのは、徹底した温度管理。「相手は自然。思い通りにはいきません。トライ&エラーを繰り返しつつ、流れをつかんできました」と安納さん。31歳と若いが、顔には経営者の決意がにじむ。
 今回は、鹿沼市の人気フレンチ「AN-RIZ-L'EAU(アンリロ)」に安納さんのとちおとめをお届け。野菜や果物、その本来の持ち味を最大限に引き出すオーナー・上村さんの技は、すでに多くの人が知るところだ。普段はトマトとアンデスベリーで作るスムージーを、トマトととちおとめで作ってもらった。ブレンダーにかけると、あっという間に鮮やかなピンク色のスムージーが完成。口の中にふわりと香るトマトとイチゴの香り、そしてさわやかな甘さ。砂糖は一切加えない、まさに自然の甘さだ。
 一番おいしい完熟状態のイチゴが気軽に味わえるのも、身近な場所で真摯に生産に取り組んでいる人がいるからこそ。ぜひこの機会に、栃木の生産者の仕事に思いをはせてみてほしい。

向かって左がスカイベリー、右がとちおとめ。種の間隔が見分ける際のポイントだとか!

飯島太陽さん人のつながりを大切に日々新たな挑戦を

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 大沢インターチェンジのほど近く。のどかな風景が続く一角に飯島さんの農園がある。妻・翔子さん、姉・宇賀神厚子さんとともに、デルフィニウムとトマトを生産している。その澄んだ青い花色から、特にブライダル分野でのニーズが伸びているというデルフィニウム。この日も温かなハウスの中で、美しい花を咲かせていた。「もともとは花農場なんですが、経営のこと、特に雇用のことを考えてトマトも生産しているんです」と飯島さん。
 トマトの主力として生産しているのが、まるでイチゴのようなかわいらしいハート型が特徴の「トマトベリー」というミニトマト。糖度が高く、肉厚でサクサクと小気味よい食感。甘みと酸味のバランスが良く、青臭さが少ないため、フルーツ感覚で食べられると注目を集めている品種だ。
 飯島さんをはじめ20代の若者が中心となり、生き生きと農業に従事する姿は、次世代、さらにその次の世代の栃木の農業を担う人たちにとって大きな刺激に違いない。
 そして今回、“街中のオアシス”と評判の人気カフェ「fudan cafe」に、この「トマトベリー」を使ったメニュー開発を依頼。赤色とかわいらしい断面が映えるピッツァを考案してくれた。「この甘さ、ジューシーさ、食感を生かしたくて」とマネージャーの手塚さん。食感を楽しめるよう、トマトは大きめにカット。絶妙な火の入れ加減で甘さとジューシーさを一層引き立てる技術は、さすが人気店のなせる業!バジル、ホワイトソース、ハニーマスタードとの組み合わせによって、異なる味わいを見せてくれるのも楽しい。
 今後、人気が出ること間違いなしのトマトベリー。ぜひ一度ご賞味あれ!

濃い青色から淡い青色まで、清楚な色合いが魅力のデルフィニウム。こちらもあぜみちで販売中。

福田いちご園安定した収量のために栽培方法もひと工夫を

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 日光街道を北上すると右手に見えてくる、赤い「いちご」ののぼり。ここ「福田いちご園」は、栃木県産イチゴの代表「とちおとめ」のほか、“いちご王国”栃木県で誕生した新品種「スカイベリー」の栽培だけでなく、観光農園としてイチゴ狩りの受け入れや、摘みたてイチゴの直売も行っている。
 「福田いちご園」の最大の特徴は「空中高設栽培」を取り入れていること。秋から翌春にかけて収穫を迎えるイチゴ。長期間に渡り安定的な収量を得るためには、無理のない体制での作業が不可欠だ。他業種を経験したのち、就農した社長・福田啓一さんだからこそ、おいしいイチゴをいかに“効率的に”作るかに対するアイデアを持っているのだろう。
 同時に、この「空中高設栽培」は、立った姿勢のままイチゴ狩りができるので、高齢者も楽な姿勢でいちご狩りが楽しめる。宇都宮インターチェンジからのアクセスの良さもあり、シーズンには県外から訪れる人も多い。
 そして、“ケーキ&和”をコンセプトに、手巻き寿司からスイーツまで、アイデアあふれる創作料理を提供するチョコレート専門店「CHOCOLATE」では、ほぼ毎朝、あぜみちから直接イチゴを仕入れている。
 この店の人気商品『ホワイトチョコレートショートケーキ』には、やはりイチゴのトッピングが欠かせない。白いケーキを彩るイチゴ。味はもちろん、色や形の良さも求められる。「やっぱり実際に見て選べるのがいい」と語る。
 見て美しく、食べておいしい。我々がそんなイチゴを味わえるのも、生産者と料理人のこだわりがあるからこそ。栃木県が誇るイチゴの魅力、ぜひ改めて感じてみてほしい。

直売所で販売されているイチゴ。自宅用としてはもちろん、贈答用としても人気が高い。

人見農園 人見公也さん栃木産レンコンの魅力を鮮度とともに届けたい

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 栃木県で二軒しかないレンコン農家の一軒、人見農園。那須高原の麓で、両親、妻・春果さんとともに、レンコンのほか、米やトウモロコシを生産している。冷たい風が吹き下ろす中、泥の中を手探りで一つずつレンコンを掘り出していく。過酷な作業にも関わらず、「宝探しみたいですね」と笑う人見さんの笑顔からは、農業を心から楽しんでいることが伝わってくる。
 我々が日ごろ目にするレンコンと比べると、真っ白に輝くその姿は驚きの一言だ。この白さも新鮮だからこそ。自らを“直売所農家”と呼び、「レンコンは鮮度が命」と語る瞬間、目が真剣になる。この鮮度を届けたい、と多い時には一日数回、近所の直売所にレンコンを届けに行く。「新鮮なうちにお客さんに届けたいし、おいしい食べ方や保存方法も知ってもらいたいですから」。真剣に農業に向き合いつつ、人と話すことが好き、という屈託のなさも、愛される理由なのだろう。
 「地産地消」をモットーに、県内各地の魅力的な生産者と提携し、その食材の魅力をダイレクトに伝えてくれる人気レストラン「下野農園」では、人見さんのレンコンを使用。料理として提供するだけではなく、エントランスには「選び方のポイント」「保存方法」など、我々にとってより身近に感じられる情報も掲示している。
 生産者と消費者をつなぐ窓口として、生産者のこだわりなど「ストーリー」を届けたいというのがこの店のコンセプト。各テーブルに配された「ストーリーブック」を見れば、知られざる生産者の想いを知ることができる。
 冬に旬を迎えるレンコンは、レストランでも惣菜店でも大活躍。この変幻自在の魅力、ぜひ実際に味わってみてほしい。

この白さは新鮮さの証!収穫と同時に水分が抜けていくため、常に水をかけて乾燥を防ぐ。

角田 栄さん一流のキュウリ作りは木を育てることから始まる

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 冬の訪れを感じ始めたこの日、温かなハウスの中で、キュウリが可憐な黄色い花を咲かせていた。角田栄さんは60アールという広大な面積で、ほぼ年間を通じてキュウリを生産、出荷している。
 角田さんは農業大学校を卒業後、就農。大学ではメロンの栽培を勉強。「もともと両親がトマトを生産していたんですが、両親と相談してキュウリの生産を始めました。同じウリだと思っていましたが、実際にやってみたら、メロンとキュウリはだいぶ違いましたね」と白い歯を見せて笑う。
 この日見せてもらったハウスでは、キュウリの“実”がなる前の“木”を育てている状態を見ることができた。徹底した温度と水の管理で、しっかりとした木に育て上げる。「あと半月もすれば、この小さなキュウリも出荷できるくらいに大きくなりますよ」
 なるべく農薬を使わずに育てられるよう、“生物農薬”という有害生物の防除に利用される虫を利用しているのも特徴。それもすべておいしくて安全なキュウリを届けるため。一切手間を惜しまない角田さんは、まさにキュウリのエキスパートなのだ。
 そして、宇都宮市内に2店舗を構える居酒屋「亜もん」では、角田さんの作るキュウリを、あぜみちで購入し続けている。「角田さんのキュウリは、弾けるような食感で、瑞々しさが違う。週3〜4回は足を運んで、新鮮なキュウリを買っていますよ。いつでも新鮮なものが並んでいて、実際に目で確認して選べるところが直売所の魅力ですね」と語るのはオーナー大竹さん。
 料理の主役にも名脇役にもなれるキュウリ。シンプルだからこそ、その品質が大きくモノを言う。食のプロに、選ばれ続けている理由があるのだ。

可憐な花をつける小さなキュウリ。これが半月後には出荷できるほど大きく育つ。

いっちゃん自然農園 八木橋一郎さん“究極の米”作りへの飽くなき挑戦の日々

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 田園風景が続く真岡市青田地区。八木橋一郎さんはここで、農薬や化学肥料を使わず、人間が使う漢方を使った「漢方無農薬栽培」の米作りに取り組む。米の国際大会で特別優秀賞・金賞を県内で初めて2年連続で受賞するなど、そのおいしさは高く評価されている。
 「一番はおいしいお米を食べてほしい、これに尽きます」おいしさと安全性を追求すれば、もちろん手間もコストもかかる。確かに八木橋さんの作る米は、決してリーズナブルではない。それでも「八木橋さんのお米が食べたい」と、直接農園まで連絡を入れる人は後を絶たない。炊いてみると、その理由が分かる。ふわりと立ち上る甘い香り、ツヤツヤと光る米粒、もっちりとした食感、噛むほどに口の中に広がる甘み…。「今までの米と違う!」と感じる人が続出中なのも納得だ。
 そして、八木橋さんの作る無農薬特別栽培米「漢方農法ゆうだい21」にほれ込み、オープン当初から使い続けているのが、宇都宮市で「みなみのけんこう館」を営む南里さん。館内には、無添加・農薬不使用の食材にこだわり、素材の味が引き立つ料理を提供する「みなみカフェ」のほか、生活習慣を改善し、心と体の健康を実現するためのスタジオを備える。
 「食」「生活習慣」から「健康」を考える南里さん。「食べ物は体を作るのに欠かせないもの。そのためにはおいしくて安全な食材を使いたい」と、八木橋さんのもとへ直接足を運び、関係が始まったそうだ。今は、八木橋さんがカフェを訪れ、米の販売会を開催することもあるという。
 我々日本人にとって、もっとも身近な主食である米。“お米がおいしい”という当たり前の幸せを再認識させてくれる八木橋さんの米を、ぜひ一度味わってほしい。

日々天日干しした米の水分量を計り、ベストなタイミングで精米。あぜみち店頭でぜひチェックを!

宇都宮ブリッツェンファーム 樋口克之さん(右)、阿部正和さん地域とつながり、農業の活性化を

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 ジャパンカップサイクルロードレースのお膝元である宇都宮市城山地域。黄金色に色付いた稲穂がいっせいに風に揺れ、収穫の時を待っていた。城山地域の水稲生産グループ「城山水稲四石会」と、自転車プロロードレースチーム「宇都宮ブリッツェン」が連携した「宇都宮ブリッツェンファーム」が誕生したのは2016年。“地域のブランド米を作りたい”生産者と、“農業をキーワードにした地域貢献活動がしたい”チーム、両者の想いがつながり、宇都宮大学で開発された品種「ゆうだい21」が『宇都宮ブリッツェン米』と名付けられた。
 ファーム代表を務めるのは樋口さん。「宇都宮の名前が付いたチームを、農業を通じて応援して、盛り上げたい」とブランド米の生産をスタート。阿部正和さん、阿部英士さん、安納広さんとともに全部で8種類の米を生産している。
 「農業は今後20年でさらにハイテク化が進むと思います。その分、これからの農業に必要なのは社会との関わり」と語る。子どもたちに向けた田植え体験も開催、地域との関わり作りに取り組む。
 ここで育った『宇都宮ブリッツェン米』は、宇都宮ブリッツェン選手の食事にも使われている。“ブリッツェン”はドイツ語で“稲妻”という意味。雷が多い地域で育つ米はおいしい、という言い伝えもある。「“雷都”と呼ばれる宇都宮で育ったこの米を食べて、チームがもっと強くなってくれれば」と微笑む樋口さんの姿に、農業の“これから”が見えた。

宇都宮ブリッツェンファームの宇都宮ブリッツェン米(ゆうだい21)
9月中旬〜下旬/独特のもちもち感があり、冷めてもそのおいしさが続くので、弁当やおにぎりにもぴったり。大手米卸業者からも注目されている品種。

株式会社ユーズプロセス 湯澤祥和さん鹿沼のそばのおいしさを、全国に伝えていきたい!

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 良質なそばが収穫され、栃木県内屈指のそば処として知られる鹿沼市久我地区。豊かな環境に恵まれたこの地で、湯澤さんはそばとこんにゃくを生産している。「もともとは和食店で働いたり、長距離ドライバーをしたりしていたんです。28歳で子どもが産まれたのを機に地元に戻ってきました」もともとこんにゃく農家を営んでいた父親とともに、現在はそばも生産。個人農家を法人化、そばの栽培から製粉、製麺まで一貫して手がける。ほかにも伝統の製法を守る手作りこんにゃく、鹿沼でとれた食材をふんだんに使用した加工品など多彩な商品を生産、栃木県産素材の県内外へのPRに取り組む。
 そしてこの快活な人柄ゆえだろうか。幅広い人脈を生かし、自社商品のPRはもちろん、イベントにも積極的に参加。「とあるプロジェクトのお誘いで、都内でイベントをやったときは、そばってこんなにおいしいんだ!と喜んでもらえました。これからも“鹿沼と言えばそば”と発信していきたいですね」
 ゆくゆくはこの地にそば屋を構える予定だという。久我の自然に育まれた高品質のそばを、もっともおいしく食べてもらうには、“挽きたて・打ちたて・茹でたて”が一番。「僕が作っているのは、古くから田舎のおばあちゃんが作ってきたような“田舎そば”。まだまだ修行中ですが、おいしいそばを食べてもらえれば、それが一番。生産者としてお客様に最高のものを届けたいですから」まもなく40歳、若い生産者として地元からの期待を一身に背負う。その笑顔に気負いは無いようだ。

ユーズプロセスの玄そば
一般的に9月後半から11月中旬にかけて収穫を迎える「秋そば」。「ユーズプロセス」では、毎年11月に収穫を行う。

長嶋 徹さん“指名買い”続出の枝豆作り

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 梅雨の晴れ間、抜けるような青空の下に、県内最大の面積を誇る枝豆の畑が広がっていた。長嶋さんは、もともとはニラを中心に生産していたが、「作る人、作る土地によって味が全然違う」枝豆の“面白さ”に魅了され、以来10年、枝豆を作り続けている。5月下旬から収穫が始まる品種『福だるま』から『湯あがり娘』『ゆかた娘』『雪音』まで、10月上旬までは忙しい日々が続く。それでも“鮮度が命”の枝豆をいつでも新鮮な状態で消費者に届けられるよう、長嶋さんは早朝から夕方まで汗を流す。
 大豆の未成熟状態のものが枝豆と呼ばれるが「大豆のような“穀類”の感覚で作ると失敗する。枝豆は“野菜”として作らないと」と語る。長嶋さん自身がトライ&エラーを重ね、たどり着いたのは、先人の“失敗”に学ぶこと。「農業は経験。マニュアル通りにはいかない。成功談なんて役に立たない。先輩農家の“失敗談”こそが役に立つんです」今は地元の後輩枝豆農家に、自身が積んだ経験を伝えていく立場だ。
 輸入野菜が急増する昨今、日本の農業に対する危機感も感じている。「若い就農者も少ないし、生産者は減っていく一方。今後、国産野菜の価値は上がっていくでしょう。だからこそ、多様化するお客様の価値観をしっかりキャッチして、求められるものを作っていかないと」と力を込める。それでも「農業はおもしろい」と笑う長嶋さんの笑顔に、農業の明るい未来を期待せずにはいられないのだ。

長嶋さんの枝豆
5月下旬〜10月上旬/香りがよく甘みもあり、栄養価も高く、手軽に食べられる枝豆。大豆の特徴を持ちつつ、緑黄色野菜としての成分も併せ持つハイブリッドな存在。

ジンファームトチギ 神保謙太郎さん徹底した管理で安定供給を可能に

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 天井の高いハウスの中、まるで川のせせらぎのような心地よい水音が響く。小山市のトマト農家「ジンファームトチギ」では今日もたくさんのトマトが赤く色付き収穫のときを待っている。「この地域は地下水位が高いんです。なので高設栽培にして管理しやすくしているんですよ。今は新技術もどんどん開発されているので、常にアンテナを張っています」と語るのは代表の神保さん。余分な水分を排除することで形も味もよいトマトができあがるという。主に育てている品種はその桃色が特徴の「桃太郎」。甘みと酸味のバランスが抜群で、肉厚な果肉のうまみを存分に楽しめると人気だ。
 農業系ではない大学を卒業した神保さんは「両親も農家だったので自分もやってみよう」と農業の世界に飛び込んだ。大学卒業後、栃木市のトマト農家で研修。「その出会いで人生が変わりました」はじめは小さなハウス1棟からスタート。今ではハウスも大きくなり、スタッフも約20名と大幅に増員。安定した品質のトマトを安定して供給できるようになった。販路も自ら開拓。「しがらみに囚われず、作ったものを自信を持って消費者に届けるところまでやってこそ農業をやっている意味があると思います」と力を込める。
 周辺の成功事例に学び、新しい情報を積極的に収集する、農業を元気にする次世代の農業の担い手。もともと別分野の勉強をしていた神保さんだからこそ見えることがあるのかもしれない。

ジンファームトチギのトマト
収穫時期:春〜初夏:現在全国的に流通も減りつつある「桃太郎トマト」。甘みと酸味のバランスが良く、肉厚な果肉は食べ応え十分。生でも火を通してもおいしくいただける。

山野井農園 山野井祥平さん作っているものは“こだわり”

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 今回訪ねたのは、栃木市のトマト農家「山野井農園」。ハウスの中では、一足早く訪れた春の暖かさに次々と色づくトマトたちが出迎えてくれた。「今は一日置きに朝から夜まで収穫。忙しいですね」とはにかむ次男の祥平さん。メインで育てているのはファースト系トマト。しっかりとした果実で、完熟出荷ができる桃太郎トマトに比べ、傷みが早く、未熟なうちに収穫・出荷されるようになり、大切な味がどんどん犠牲にされるようになってしまった品種だ。故に“作りにくい”と一時はほとんど見かけなくなってしまったが、山野井さんはファースト系トマトの生産にこだわり続けた。「おいしいものを作りたい。農家の意地です」
 そう。「山野井農園」で特筆すべきは、自分たちのその“こだわり”を売る、という強い意志。水耕でトマトを生産すれば品質も安定し、大量供給も可能だ。しかし山野井さんは自分たちが手の届く範囲で納得できるものを生産し、自ら販路を開拓する。農業とは工業製品ではなく“作る”から“売る”までが一体となった“モノづくり”なのだと改めて感じさせられる。
 父親の好一さんは自身を“新しい物好き”と表現する。それも“より良いものをどうやって売るか”を最大限に考えているからこそ。そのフロンティアスピリットは祥平さんに確実に継承されている。栃木県の農業の未来は明るい、そんな確信が湧いてくるのだ。

山野井農園のトマト
収穫時期:春〜初夏/夏野菜の代表のイメージがあるが、実は最もおいしく食べられる時期は春から初夏。サラダからデザートまで多彩な調理法で楽しめる。

前田牧場 前田智恵子さん前田牧場のテーマは笑顔と健康!

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 大田原市「前田牧場」といえばホルスタイン牛。栃木ではそれぐらい名の通った牧場だが、意外にも野菜や米、イチゴの生産までも行っているのだ。今回は、ちょうど収穫中だった同牧場のゴボウ畑を訪ねた。収穫の様子は圧巻で、まず重機で掘削し、地中に深く根付いたゴボウを掘りやすくし、手作業で1本ずつ抜いていく。非常に骨の折れる作業だが、抜いたゴボウはとても太く力強い。牛の堆肥を利用しているからだという。泥だらけになりながらも笑顔で話してくれたのは前田智恵子さん。野菜作りのルーツは父親の昭さんだという。「もともとは堆肥の有効活用、循環型農業として始めたんです。でもいろいろな種類の野菜をチャレンジしては製品化して。そんな父に振り回されていますが(笑)」。野菜のほとんどは直売されているが、中には規格外の大きさのものも。消費者からのウケは良いようで、そんなやりとりもまた楽しいのだという。また、2002年には直売所とカフェもオープン。自社加工品の販売や野菜、お米を使った料理を提供している。「お客様の生の声が聞こえるのがいいですね」と話す。今後は法人化に伴い、さまざまな環境を整えていきたいそう。「毎日が必死ですが、テーマは笑顔と健康。それをしっかり提供できるようにもっともっとチャレンジして喜んでいただけるものを提供します!」。朗らかな智恵子さんのキャラクターに、明るい農家の将来を期待せずにいられないのだ。

前田牧場のゴボウ
収穫時期:秋口〜冬/品種によって収穫時期が異なる。食物繊維が豊富。キンピラゴボウなど日本では古くから親しまれている食材の一つ。アレンジもさまざま。

青木きのこ園 青木功二さん厳重な管理が確かな品質へ結びつく

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 宇都宮市でも中心地とは打って変わって、見渡す限りに田畑が広がる飯山町。林の中に佇むようあるのが、今回訪ねた「青木きのこ園」だ。生産の責任を担うのが青木功二さん。湿度・温度を管理された発生室ではシメジ、エリンギ、ヒラタケなど多くのキノコが収穫を待っていた。先代が始めたキノコ栽培。誰もやっていないものをと、さまざまな品種を手がけてきた経緯がある。
 キノコ栽培はまず培地作りからはじまる。菌が繁殖する培地は、おがくずやぬか、もみがら、コットンなど数種類の材料をブレンドしたもの。品種や気候に合わせてオーダーしたものを使い、それらをビンに詰めていく。そして一番気を使うのが、種菌を培地に接種することだという。「種菌を雑菌にやられないようにすることです。とにかく清潔に保つことが肝心」と話す。接種を行う部屋はこちらも温度・湿度を厳重に管理。接種後は培養室で3カ月程度育てる。これらの作業は、青木さんが一人で行っているというから驚きだ。
 現在の主な出荷先は「あぜみち」や道の駅といった直売所。青木さんは多品種を手がけるので各地で重宝されている。これからは「ハタケシメジ」の栽培にも挑戦するという。大切に育てられた青木さんのキノコ、ぜひ食卓でその味を確かめてみてはいかがだろう。

青木きのこ園のシメジ
収穫時期:通年/一般的には9月〜10月が旬だが、通年栽培できる。栄養価が高く、血液中のコレステロールを低下させるなど、高血圧予防に効果を期待できる。

笹沼イチゴ園 笹沼槙司さん 望美さん父の背中を見つめ、越える日を想い描く

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 「あぜみち」一号店の時代から長年の取引があるという、さくら市郊外の「笹沼イチゴ園」を訪ねた。取材に応じてくれたのは、仲の良さと笑顔が印象的な笹沼槙司さん、望美さん夫妻だ。イチゴ農家に生まれた三人兄弟の末っ子として育った槙司さんは、一度県外で就職するも、実家を継ぐ者がいないことを憂い、「イチゴ食べるのも好きだし」と3年前にUターン。実際に手伝い始めると、同園では近隣イチゴ農家で使用されるフリー苗の育成も行っており、収穫の無いオフシーズンも作業が多いことも相まって、想像以上にキツい仕事に、始めてすぐ「考えが甘かった」と感じた。さらに父は寡黙で職人気質、仕事は見て覚えろと言わんばかり。それでも「辞めろ、と言われない限りは辞めない」と心に決め、母に聞いたり、自分で調べたりと勉強しながら知識と実践を深めてきた。まだ一番大事なイチゴの管理は任せてもらえず、うまく話せないもどかしさや反発心を覚えながらも、新しいもの好きでフットワークの軽い、勉強熱心な一面も持つ父には尊敬の念を抱く。長年イチゴ園を夫婦で切り盛りしてきた両親の姿を改めて目の当たりにし、「自分たちが同じ年代になったときにあんな風になれるのか」という不安を感じることもあると言うが、若き二人はまだまだ始まったばかりの挑戦の途上。これからの活躍に期待したい。

「笹沼イチゴ園」のイチゴ
収穫時期:1月〜3月/紅く瑞々しく輝く、ジューシーな果実。まろやかな甘さのスカイベリーと、根強い人気のとちおとめ。

仲田園芸 仲田知史さん若者に憧れてもらえる“カッコイイ農業”を

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 今回訪ねた「仲田園芸」は20ヘクタールもの広大敷地に年間約40種、試験的に栽培している品種を含めると50種もの野菜を育てている。見渡す限りの大地はすべて同社の敷地だ。もともとは緑花木専門だったが、海外へ開発需要が転移した近年、野菜づくりへとシフトしていった。代表を務めるのは仲田知史さん。自身は元会計士。就農のきっかけをこう話す。「帰郷したときに食べた、親が育てた無農薬の野菜がおいしくて。肥料もすべて自分たちで作るという、その循環型の生産に面白みを感じたんです」。その後ほどなくして農業経営に携わった。会計士としてのノウハウを如何なく発揮。“企業”としての農業に取り組んだ。「経営するために大規模化は必須だと感じました。当初は自分で育てた野菜を自ら営業してまわるところから始めました」と振り返る。現在では、大規模化に伴い、障がい者の就労継続支援事業も行いながら雇用している。取材時にもハウスでは収穫したばかりのネギを仕分けしていた。就農からおよそ10年。やはり自然とともに生きる仕事だからこその難しさは変わらず。「天候の問題は大きいですね。いずれその問題も解決していきたいと思っています」。
 そして最後に、仲田さんにプロとしての想いを聞いた。「まずは人を育てることが一番だと思います。そして人生は一度きり。楽しんでやりたいですよね」。

「仲田園芸」の大根・ニンジン
収穫時期:11月〜12月/県内でもめずらしい赤大根と京くれないと呼ばれる色の付いたニンジンを栽培。料理に使えば彩りも美しく仕上がる。

大塚なえや 大塚佳延さん 文江さん若者に憧れてもらえる“カッコイイ農業”を

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 苗半作—良い苗ならばそれだけで作物は半分できたようなもの、という言葉がある。「大塚なえや」は、人々が長蛇の列を成す“異色の農家”だ。元をたどれば葉タバコの生産者。そこで培われた土作りと苗作りのノウハウでプロへ供給してきた高品質な苗を大々的な一般販売へ踏み切ることで勝負に出たのが、3代目である佳延さんだ。かつてプロスポーツの世界でハイレベルなプロ意識をその肌で体感した彼。結婚を機に25歳で本格的に農業で生計を立てて行くと決めたとき、やるなら徹底的に、真剣にやろうと決めた。苗の販売告知には地元ケーブルテレビへの出演や折込チラシ配布など、既存の農家の枠を超えた広報活動を行った。農業のイメージを変えたいと願い、服装にも気を遣う。赤や青などの原色を配したアウトドアブランドのウエアは、ただ格好良いだけではない。地域のしがらみに縛られる中で「格好だけ」と言われないよう気張るための彼なりの背水の陣でもある。家業である苗屋を続けるために始めた野菜づくり(苗半作—つまり、苗が作れれば、野菜は作れるのだ)では、「野菜は腕もあるけど、品種だ」と言う元品種改良研究者である父の言葉を信じ、10年の歳月をかけ土地に合うものを見つけ、他の農家の出荷が終わる頃により良い品を安く出せる体制を整えた。「夢中になって野菜を育てて、畑を眺めるのが楽しい」と語る佳延さんに、「それをいかに売るか、が私の仕事なんです」と話す妻の文江さん。支えあう夫婦の姿に、農業の未来が重なって見えた。

「大塚なえや」のキャベツ
収穫時期:10月〜3月/葉肉がしっかりとした寒玉系。火を通してもシャキッとした食感で炒め物に最適。このほか、直径40cm超の「札幌大球」も趣味で栽培。

鈴木梨園 鈴木建彦さん農家として、おいしいものを作ることにこだわる

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 宇都宮市下荒針町で梨を栽培する「鈴木梨園」。今回訪ねたのは同園の3代目となる鈴木建彦さん。案内してもらった畑には大玉の「にっこり」がたわわに実っていた。「この畑を含め、7つのうち3つは自分が自由にやらせてもらっています」。
 子どもの頃から梨栽培を手伝っていたという建彦さんがこの園に従事するのは自然の流れ。「ずっと継ぐものとして認識していましたから。でも最初はそう言われたからただ、手伝っているだけでしたけどね」。学校を卒業後は農業試験場で働きながら就農。栽培することの喜びを感じる一方で、自然を相手にすることへの難しさを痛感。「今年は長雨の影響が大きく、苦労しています」。今年の日照不足はさまざま作物に影響を与えているが、梨も例外ではない。就農から7年が経過した鈴木さんにとって大きな試練。しかし落ち込んでいる様子はない。「この歳でこんな経験ができるのもありがたい。きっと自分の成長の糧になるはず」と前向き。将来は皆に喜ばれる梨を追及したいそう。一方で農家であることにこだわりたいと語る。「売ることも重要ですが、その前にしっかりいいものを作ることはもっと重要。おろそかにできない部分です」。建彦さんが育てた梨は園で直販も行っている。ぜひ一度訪れてみては。

にっこり
収穫時期/10月中旬〜11月中。栃木県生まれの大玉品種。甘みがあり、水分もたっぷりでジューシー。大きいもので1キロ以上もある。

岡崎農場 岡﨑孝彦さん 和彦さん一つの新聞記事との出会いから生まれた想い

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 日光は戦場ヶ原の裏手、男体山の麓に広がる雄大なロケーション。開拓時代から続く農家として、父・母・娘・息子の家族4人で農業を営む岡﨑家を訪ねる。 実は、開拓時代から続く農家と言ってもその道筋は平坦ではない。長らく高冷地栽培の大根を中心に近隣の農家数軒と共同で出荷を行っていたが、作物の病気などをきっかけに少しずつその軒数が減っていき、そのうちに共同出荷も途絶えてしまった。以降は家で食べる分や知り合いに配る分などの野菜づくりを続けていた岡﨑家が、本格的な出荷を再開したのは今年の始め。24歳になる息子が家に帰り農業を継ぐことになったのだ。 消費者の限られる地元の産直だけでなく、新たな販路として当初検討したのはインターネット通販。しかし人手やコストの面で二の足を踏んでいた。そんな時に出会ったのが、あぜみち社長・林氏のインタビューを掲載した新聞記事だった。今も大事に切り抜きを保管するその記事には、農業を変えていきたい、という林氏の想いが詰まっていた。それに共感した岡﨑さんは「ここしかない!」とあぜみちへの出荷を決めた。レタスや大根、キャベツなどを中心に、現在は種ほどの作物を試験的に栽培。収穫した作物は週に3日、あぜみち上戸祭店まで往復3時間かけて自ら出荷を行っている。 来夏には「なつおとめ」イチゴの栽培にも挑むという。再び動き始めたばかりの「岡﨑農場」の未来に期待したい。

サニーレタス
収穫時期は栽培地域によってことなる。夏は高冷地から、冬は温暖な地域から出荷。サラダや添え物など広く親しまれている野菜のひとつ。

永尾農園 永尾 猛さん収穫量、作業量とのバランスが大事

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 あたり一面のどかな里山の風情が漂う茂木町。この地でキャベツをはじめ、アスパラ、とうもろこしを栽培する永尾さんを訪ねた。千葉県出身の永尾さんは、家庭菜園の趣味が高じて農家を志し、トラック運転手をしながら資金を貯め、さまざまな場所で農地を探した。その後、この地で酪農の仕事に就きながら、役場のサポートを受け、借りられる農地を当たった。「新規就農ということで、土地探しに苦労しました。作物によって栽培している土地が離れてしまっていますが、いずれは一括に集約して栽培したい」。永尾さんの農地は徐々に広がり、そうしているうちに、貸し手も増えた。取材時はキャベツがすくすくと育ち、収穫を待っていた。「6月頃から天候、気温、水などに気を遣います。でも苗づくりが一番難しいです」と話す。農薬も非常にシビアだ。虫や病気がついてから撒いてはもう遅い。常に先手を打っていく必要がある。その結果、最低限の農薬で済むのだ。「収穫率を上げることを目指しています。また作業量と収益のバランスも大事。しっかり見定めながら品種を選んでいます」。9月頃にはキャベツは収穫時期を迎え、「あぜみち」や「道の駅もてぎ」に並びはじめる。ぜひ、その味を家庭でも試してみてほしい。

永尾さんのキャベツ
品種や栽培地域によって収穫 時期が異なる。
永尾さんのキャベツは夏から秋に収穫される。生のままはもちろん、炒めたり、ボイルしたりと調理の幅も広く、よく消費される野菜のひとつ。

亜熱帯農業開発センター 豊田 安志さん作ったら終わりというわけではない

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 真岡市といえば生産量が日本一を誇るイチゴが有名。今回紹介する豊田さんはその真岡市で、県内でもめずらしいパッションフルーツを栽培している。豊田さんの父親が、昭和60年頃に蔓延したイチゴの病気を懸念して、次世代の特産品になりうる作物を育てたいとの想いから始めたもの。イチゴと一緒に栽培でき、ほかの産地と差別化できるものを考え、取り入れた。その後、品種改良を重ねて日本人の口に合うようにアレンジして生み 出したのが『黄金特大パッションフルーツ』。通常より大玉で、酸味が抑えられているのが特徴。そんな父親が作り出した品種を引き継いだ豊田さんだが、就農は突然だったという。「当時は東京で働いていましたが、父親が急逝して栃木に戻りました」。亡き父親の想いを受け継ぎ、独学で知識を得て、他県の生産者を訪ねた。『黄金特大パッションフルーツ』をはじめ通常のパッションフルーツ、ブルーベりー、グァバを育てている。「自分がやらなければという想いが強かった」と振り返る。就農早々から挑戦と苦労の連続だが、4年目を迎える今では栽 培の傍ら、飲食店との取引はもちろん、自ら加工場を貸りてジュースへの加工も行う。また、冬場にも収穫できるよう、県内企業と模索している最中だ。「作ったら終わりではないです。やはり売るところまで考えていかなければと思っています」。豊田さんの挑戦はまだ続く。

豊田さんのパッションフルーツ
夏季。
亜熱帯地域を原産とするトケイソウ科の果物。

福田農園 福田 正英さんビジネスモデルとなるように頑張りたい

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  今回訪ねたのは、高根沢町でタマネギ栽培を行う福田さん。彼が栃木に戻ってきたのは26歳の頃。農繁期に、父親の作業を手伝う形で農業を始める。「自分が手伝ったからといって売上が増えるわけじゃなかったので、何とも言えない複雑な気持ちでした。」と当時を振り返る。土地利用型の農業で、米づくりが中心。昔も今も大きくは変わらない。時代の変化にこれからも今までのやり方が通用するのか日々悩んでいた頃に、転機が訪れた。知人を介し、北海道中富良野町のタマネギ農家への研修。研修先の生産者によると、中富良野町では主力作物を米から徐々にタマネギへとシフトしていった 歴史がある。その経過を知り、これから自分の進む方向性が見えた気がしたとのこと。「今後、私達世代への期待は大きく、農地をしっかりと耕し活用していく事も求められる」。その意味では、これまでより効率化を図り、収穫量を上げて合理的に行うことがキーとなる。現在は加工用のタマネギを中心に2・5町歩もの畑を手がけている。「来年はより機械化することで、生産性を上げる予定。自分のタマネギ生産がビジネスモデルとなるように頑張りたいです」と意気込みを話す。今、次世代が動き出し、新たなビジネスとしての農業を模索する人も少なくない。受け継ぐものと変えるもの。それぞれのヴィジョンが栃木の農業を活性化させてゆくだろう。

福田さんのタマネギ
品種や地域によって通年食べられる。
ユリ科ネギ属の多年草。

鹿沼グリーンファーム 星野 司さん効率化することで安定したものを届けたい

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  宇都宮市インターパーク周辺に構える巨大な4つのハウス。中はキレイに整えられた環境で、ミニトマトが赤く熟している。今回はここ「鹿沼グリーンファーム」の代表・星野さんにお話しを伺った。もとはパラを栽培していたハウスを借り、ミニトマト栽培に励む。「広さは約700坪。すべてミニトマトを栽培していて、一日に200キロ程収穫します」。インターパークのほか、小山市でもハウス栽培を営む星野さん。キャリアは5年と浅いながらも、かなりの生産量を誇っている。「鹿沼土の生産に携わり、独立前に2年程下積みとしてさまざまな勉強をしました。当初から法人としてスタートさせ、組織化することで効率化を図りたいと考えていたんです」と自身を振り返る。栽培に携わって5年、この間は試行錯誤の連続。天候に左右される部分も大きいので気が抜けない。「始めて1、2 年目は与える水分を減らすことで甘みを出そうとしていたのですが、それだと病気に弱くなってしまって・・・」。現在、星野さんは「バッグ栽培」と呼ばれる手法を採用している。袋状のものに土を入 れそこから茎が伸びている。1シーズンごとに土をまるごと入れ替えができるので、病気になりにくいというメリットがある。そしてしっかり光合成をしたミニトマト。一粒いただくと、凛としたうまみで、まるで太陽を彷彿とさせる力強い味がした。

星野さんのミニトマト
春先から夏頃。
ミニトマトは品種が多く、色や形の違いもある。

のはら農園 野原克元さん生産者の個性が出るのがおもしろい

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  今回訪れたのは栃木市。東北自動車道栃木インターからも程近い場所でトマトを栽培している野原さん。数多くある品種の中でも「ファースト」という品種にこだわり続けている。比較的手間のかかるこの品種。水の管理や病気にも弱く、苦労が絶えないが「難しいけど、生産者の個性が出るのがおもしろい。誰にでもできる品種だとつまらないじゃない(笑)」と話す。大切なのはいかに「良い畑」を作るか。野菜は口に入れるものだからこそ化学肥料を使った土壌消毒もしない。野原さんの信念だ。1000坪もの広大な敷地で育てているトマト。栽培に関してはもはやベテランである野原さ んだが、毎年課題に思うことも少なくないそう。「いつも〝こうしておけば良かった〞と思うのですが、天候は毎年変わるので難しい。そこは長年の勘を頼りに試行錯誤。教科書通りには行かないです。 でもそこがおもしろいところだよ」。野原さんのトマトは、「あぜみち」はもちろん、直接業者との取引が中心。これまで真摯にトマト作りに従事してきた結果、その味が評判を呼び、クチコミで広まった。「良い畑で育てること。最初に描いた基本的な考えが間違っていなかったんだなと思いますね」と野原さん。畑でもぎたてをいただくと、実に瑞々しく、濃厚。甘みを蓄えた力強い味がした。これからの季節、冷やしてシンプルにいただくのもおすすめだ。

野原さんのトマト
主に夏場。
世界には数千種類もの品種があるが、野原さんが育てるのは「ファーストトマト」。

佐藤 要さんこの農地を守り、いい野菜を届けたい

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  宇都宮市岩曽町でアスパラガスを育てている佐藤さんは就農から10年を迎える。 元はディーラーマンという経歴。実家が営んでいた農業。「漠然と継ぐんだろうなとは思っていました」と話す。サラリーマンを辞め、農業に従事する際にはじめたのがアスパラガス。ハウスの中では凛と太く立派に育っている。取材時の3月頃で1日約10センチ、夏場は1日に約20センチも伸びるというから驚き。午前の収穫と選定を終えた頃には、また伸びていることもめずらしくない。「最初に徹底した基盤づくりをすれば、 年経ってもしっかり育ちます。1〜2年目は株を育てる。安定して収穫ができるのは3年目以降でしょうか。自分は家が農家だったので、機材などに恵まれていました」。しかし生産者ならではの苦労も絶えない。今年1月の雪ではハウスが押し潰されてしまったのだ。当時はハウスを辞めようとも考えたそうだが、ここまで育った苗を無駄にはしたくない。そう考え、取材当日は新たなハウスを再建中だった。「子どもの頃、農家に対して良い印象はあまりなかったんです。でもこの10年ぐらいで、消費者が野菜に対していろいろ考えて選ぶようになりました。後継者不足もありますが、この農地を守り、これからもいい野菜を届けることはやりがいです」と想いを語ってくれた。佐藤さんが育てるアスパラガス、これからまさに旬を迎える。

佐藤さんのアスパラガス
春先から初夏頃。
ユリ科アスパラガス属の多年草。ハウスで栽培される。

高橋美月さん種から芽が出るときがうれしい

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  見渡す限り田畑が広がり、遠くの山々を望むのどかな場所。ここでさまざま作物を育てている高橋さん。元は父親が始めた花木を栽培していたが、今は高橋さんが主体となり、野菜の栽培に取り組んでいる。「子どものころから手伝いをしていました。種から芽が出るときがうれしくて」と自身を振り返る。 コニファーや鉢花を生産しつつ、直売やネット通販を手がけてきたが、徐々に野菜の生産にシフト。男性がリードする印象のある農家だが、持ち前のバイタリティで突き進んでいる。「例えば肥料のことなど、自信のないことも多いんですが、周りに教えてもらいながら。若い農家たちのネットワークもあるので心強い」。この時期は菊芋が収穫を迎えていたが、春に向けてルッコラ、チコリー、レタスなども栽培。めずらしい品種にも取り組む。「あまり見かけない西洋野菜も育ててみたいです。めずらしい分、栽培に苦労することもあるんですが(笑)」。今年はさらにイタリアンナス、フェンネルなどにも挑戦していきたいと意気込みを話す。女性ならではの視点でつくる野菜は好評で、「あぜみち」はもちろん、「道の駅うつのみや ろまんちっく村」でも購入できる。「失敗することもありますが、周りに教わりながらやっています。もっとマニアックな野菜も育てたいですね」と語るその姿は、希望に満ちている。

高橋さんの菊芋
冬。
ショウガのような見た目。キク科ヒマワリ属。根の部分が食用となる。

きみじまいちご園 君嶋夏樹さん日に2500パック、多い時期は5000パック

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  宇都宮からも程近い芳賀町の閑静な場所、広大な敷地にハウスが立ち並ぶ。今回訪ねた「きみじまいちご園」では、3ヘクタールもの規模でイチゴの栽培を行っている。お話しを聞いたのは君嶋夏樹さん。同園は祖父の代から始まり、夏樹さんの父親が徐々に面積を拡大。休耕田なども借り上げ、今の規模に至った。イチゴ栽培に従事する父親の姿を見て、子どもながらに「休みもなくて大変そう」と思っていたそうだ。「休日に家族で出かける友だちがうらやましかったですね」と振り返る。しかし、いつしか志すようになった生産者の道。「嫌とは言えない状況もありましたけどね(笑)」と 笑いながら話す。当初はシイタケ栽培に 精を出した。その後、イチゴ栽培の拡大に伴い2、3年前からイチゴ栽培に従事するように。ハウスでは高設栽培が行われ、今年から始めたという「スカイベリー」がたわわに実る。これからさらに繁忙期を迎えるが、イチゴ作りは夏に始まっている。育苗、そして高設栽培のプランター作りと休む間もない。取材の日は朝から摘み取りとパック詰めを行っている最中。この時期で2500パックを出荷。ピーク時は日に5000パックを出荷するというから驚き。大規模消費地への出荷が主だが、「あぜみち」にも卸している。「目の前でイチゴが売れるとやっぱり嬉しい。お客さんと直接話す貴重な機会ですね」と語る。

きみじまいちご園のイチゴ
冬季〜春頃。
スカイベリーは東京をはじめ全国に向けて栽培。

いちごハウスとこい 床井康浩さんここで生まれる人との繋がりが宝です

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  床井さんがイチゴの生産に携わったのは、20歳の頃。今から16年前のことだ。また、2~3年前からはイチゴの苗作りも始め、近所の生産者や宇都宮市「ハート&ベリー」の野口氏に携わりながら、試行錯誤を続けている。「農協の株はしっかりしていて、たくさん採れるとは思うのですが、入荷時期の関係でまとまった出荷時期が1月になってしまうんです。やはりお客様のことを考えると12月末のギフトに間に合うようにしたかったんです」とその理由を話す。自ら苗を育てることで、出荷時期まで見極めることができ、コントロールできる。出荷はもちろん、“摘み取り型”のイチゴ園として開業していることにもそのメリットがある。「いちごハウスとこい」は、一般的な時間制の食べ放題ではなく、自由に摘み取って量り売りするシステム。これが評判となっている。「なかなか量り売りで購入できるところが無かったんです。ゆっくりイチゴの摘み取りを楽しんで欲しいですから」。完熟のイチゴを自分で摘み取る体験はやはり格別。長く通ってくれる常連も少なくない。「今まで来てくれた人が新たな繋がりをよんでくれる。それが僕の宝ですね」。今後は新たな品種栽培にチャレンジしたいという。近い将来、多品種のイチゴの摘み取りを体験できるかもしれない。人との繋がりがまた人を呼び、きっと新たなファンを生んでゆくのだろう。

いちごハウスとこいのイチゴ
冬季~春頃。
摘み取りと出荷用にとちおとめを栽培する。